食と、東北と、編集長
佐藤仁
はじめに
本プロジェクトは、三留 慎太郎(株式会社大潟村同友会)、三嶋 明歩(写真家)、佐藤 仁(食と、東北と、)の3名が、目的「秋田県大潟村における農業の魅力を発信し、多くの方々に興味を持ってもらうこと。また、本活動を通して生産者が抱える後継者不足等の課題解決に貢献すること」に向かって1年間さまざまな活動を行う…という取り組みです(概要についてはこちらをご覧ください)。
食と、東北と、では、今年度5回の記事制作を通してその魅力を発信していきます。
本記事は本プロジェクトのまとめ記事となります。
大潟村に広がる景色



秋田県大潟村に広がる農業風景。
この景色をどう感じるか、どう捉えるかは各々違います。
もしかしたら「秋田って何もないな」と感じる人もいるかもしれません。
eten(zine)の制作を通して視えたもの
作品中で三嶋明歩さんが「なにもない」について触れています。
「なにもない」ってなんでしょうね。
暇を潰す場所がない。有名なチェーン店の出店が少ない。娯楽がない。
きっとそんなことを指しているのだと思います。
「そんなことはないよ。遊ぶ場所なんてたくさんあるよ。」とは言いません。
事実、秋田県と東京都で比較すると娯楽施設は少ないと思いますし、徒歩圏内にお店がある…駅がある…という環境が整っていないのも事実だと思います。
でも私は「なにもない」とは思わないんですよね。
「農」から生まれる「食」

何気ない「農業」の風景をじっくりと見てみましょう。
きっと「一区画」の場所として捉えることができるでしょう。
さらによく見ると、それは「一束」となり、「一粒」になります。
そしてその「一粒」はある日、「食」になります。
「農業」が「食」を生み出していることは、紛れもない事実です。

さて、ではこんな風に「農」と「食」を重ねてみましょう。
なんだかいつもと違った景色に見えてきます。

そしてさらに「人」が入ると、これまた違った景色に見えてきます。

撮影中ですよ!食べないでください!
なにか

さて、ここまで様々なシーンを見てきて
「なにもない」だったでしょうか?
たぶん、”なにか”はあったと思います。
今回撮影していただいた写真はすべて、大潟村という場所、大潟村で生産された米、大潟村で働く人です。
みなさんが日常的に、なんとなく「なにもない」と思っている場所には、
なにか
はあるんです。
きっと当たり前すぎて気付けない、日常だから見慣れて気付けないだけで、「なにか」は存在しています。
「なにか」の可能性

私はこの「なにか」の存在に気付くことが、未来を創る第一歩だと考えています。
「なにか」が美味しいものだと気付くと、それを食べたいと思う人が集まります。
「なにか」が楽しそうだと気付くと、みんなが遊びにきます。
「なにか」が映えてると、写真を撮りに人がきます。
「なにか」の捉え方は人それぞれです。
人によってどう感じるかも違います。
ただ、1つ言えることはなにかがあると感じることこそが、新たな思考や行動につながるということです。
そして「なにか」は形が定まっていないからこそ
自分で形づくったり、表現したり、発信したりすることができます。
これは1つの魅力…なのかもしれません。
なんだか概念的な話で伝わりにくいかもしれませんが、
本プロジェクトを通して、私が感じたことを率直に書かせていただきました。
本記事が、みなさんが地元の、大潟村の、秋田の、東北の…魅力に気付くきっかけになることを願っております。